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日記・コラム・つぶやき

2014年4月24日 (木)

ハチパー

週一くらいのペースで飲みに行きます。
水曜日の会議後に行きつけの小料理屋へ出向くのがパターンです。会議のメンバーで行くことが多いのですが、ときには店舗シフトあがりの店長連を呼び出すこともあります。
お酒が好き、というよりは皆と酒席を囲むのが大好きなワタクシには、本当に美味しい料理と相まって楽しみの場でもありリフレッシュの場でもあります。(飲みすぎて後悔の朝を迎えることあまたですが・・・)

昨夜も行ってまいりました。お造り、春野菜の天ぷら、ホタルイカ酢味噌、みすじ肉、冷奴・・・ビールが美味しかったです。
さて会計です。社長がカードで決済をしながらマスターとしゃべっております。何やらカード決済時の店舗側の手数料のお話のようです。ご存知の方も多いとは思いますが、カード取扱店ではカード決済にあたって決済額の数%をカード会社等に支払わなければならないのです。

社長「やっぱりこうやってカードだと5%くらい持ってかれるの?」
マスター「はい」

そこでワタクシが割り込みます。
「現金で支払うから3%負けていうのはどう?」

理に適ってるでしょ?お店はカード使用なら5%持ってかれるところを3%で済ますことができ2%お得。こちらは3%の割引でお得。増税もどこ吹く風。
実に聡明で現実的なワタクシ。素敵。

続いて社員A
「現金で支払うから5%負けて」

ギリ分かる。どうせ持ってかれる5%ならカード会社ではなく現金で支払うワシに還元せー、という理屈。実にジャイアン的発想。下品。

さらに続いて社員B
「カードで支払うから5%負けて」

酔ってたんでしょうね。こうなったら何のこっちゃ分かりません。お店潰れます。


人間模様というか性格というか、まぁ、お開き時のちょっとした会話ではあったんですが興味深かったです。
そんな中、一連の話の流れをジッと見守っていた社長が総まとめに掛かります。

社長のたまわく「現金で支払うからよぉ、8%負けてよ」

はぁ???

いったいこの御人は何を言っておるのだ?ついにもうろくしたか?
否、そんなことはありませんでした。その根拠たるや、なかなかスゴいものでしたよ。

「カードで支払うところを現金にするんだぜ。現金がすぐに手元に残るじゃない。カードなんかだとお金まわってくるのにひと月以上かかるわけだからさぁ。手形だってそうだよ(て、手形!ここで手形!)。カードの手数料で5%、手元に現金でまぁ3%。だから8%負けてよ。ガハハハハ」

ワタクシなどには考え及ばないこの発想。この傍若無人ぶり。
この人についていこうと決心しました(笑)

@管理人

名誉のために。
当座の現金工面に苦労しているお店ではありません。いつも賑わっております。

社会人としての心得

こんにちは。毎日、クロエの自宅の方向に向かって5回の巡礼を行っているボン兵衛でございます。

ワタクシが社員になった時のお話しでございます。

社員になってワタクシの配属された店舗の店長がクロエでございました。

右も左も分からないワタクシに、時には厳しく、時には優しく指導して下さったことを、つい昨日のことのように思い出します。

今でもあまり変わりませんが、整理整頓の苦手なワタクシに、その大切さを教えてくださいました。

『そこまで言う?』ということまで指摘されましたが、そのおかげで今の自分があると、感謝以外の言葉が見当たりません。

そんなクロエでございますが、ワタクシ以外の社員にも社会人としての常識、マナーを示しております。

例えば、

・店舗はみんなのもの。常に綺麗にしなさい。

・事務所(3Fにあるのですが)の階段は静かに上りなさい。

・事務所の扉は静かに閉めなさい。

・会議の後は椅子は元に戻しなさい。

・タバコを吸ったら灰皿は綺麗にして帰りなさい。

・電話をしている時は、大声で話すのは控えなさい。

などなど。

すべて当たり前のことでございますが、社員同士でいるとつい油断してしまう時がございます。その油断が最も危険であると教えて下さっているのだと思います。

クロエはよく事務所の掃除を行っています。かなり綺麗好きな方です。

箒をかけ、掃除機をかけ、机を拭き…

会社では『かなり偉い人』なのですが、このような心がけが、どんな立場になったとしても大切なのだなと常々思っております。

そんなクロエを見て、ワタクシも事務所の掃除をします。





今日もクロエのデスクの下は『食べこぼし』でいっぱいです…。

2013年12月23日 (月)

西洋菩提樹

大切だった人からクリスマスプレゼントが届きました。
職人さんから花言葉を聞いたときは空を見上げることしかできませんでした。
春には緑の葉で覆われるそうです。

きっと奇跡みたいなことはいっぱいあるんだと思います。

Img_9732

2013年1月 7日 (月)

ほどほど

明けまして(まくって)おめでとうございます。24時間365日営業の我々の業界では年末年始といってもさほどメリハリを感じるわけではありませんが、それでもクリスマスあたりから店内の飾りつけが派手に施されたり、なんとなくお客様の師走の忙しさや正月のめでたい空気を肌感覚で味わっていると、あぁ新しい年を迎える(迎えた)んだなぁとそれなりには実感できるものです。かくいうワタクシもクリスマスにはケーキを食べ、年末には事務所の大掃除をしましたし、年始にはおせちもいただきました。

思えばワタクシも、毎年巡ってくるこういう一つひとつの行事にしっとりとした幸福感を感じられるようになりました。やや行き過ぎたへそまがりであまのじゃくだったかつての自分に比べると、ワタクシも大人になったものです(笑)

これからも、よりしっとりとおだやかに生きていきたいものです。

が、現実にはそうも言ってられないようですね。どうやら世の中で最優先に求められているのは「軽快で」「スピーディな」振舞いのようです。

なんとクリスマス、大晦日、お正月・・・と過ごしたばかりの我々に、早くも迫るのは「みたらし団子の日」「バナナの日」「イチゴの日」「シュークリームの日」「メロンパンの日」「マグロの日」などなど・・・枚挙に暇がありません。

みたらし団子は3と4と5のゴロ合わせ、バナナは8と7かな、イチゴはもちろん1と5、シューは1と9、メロンパンは、メロンパンは・・・うーん難しい、マグロにいたってはもはや何のこっちゃ分かりません(笑)

果たしてこれでイイのでしょうか?一つひとつの行事にしっとりとした幸せを感じるとは言いましたが、これはいくらなんでもせわしない。そして、ここまで暦を安売りするその向こうに透けて見えてしまうのが、今この瞬間に手に入れられるはずのものを決して逃してはならない(それがたとえどんなに微細なものであっても)という「損得勘定」のみなのがワタクシには非常に寂しく思えるのです。(まるでア○ノミクスのスローガンのよう)

これをして、良い意味で目の前のチャンスを見逃さない貪欲さや狡猾さと表現できなくもないですし、商売をする上では欠かせない「センス」であるとも思います。しかしワタクシには「軽快でスピーディ」というより「軽薄でその場しのぎ」というふうに見えてしまうのです。

考えすぎでしょうか(笑)

本年もよろしくお願いいたしますm(__)m

@管理人

2012年10月19日 (金)

見えるものと見えないもの

ワタクシはラジオが大好きで、テレビを観る時間よりもラジオを聴く時間の方が圧倒的に長いという、この21世紀においてはいささか希少な部類に属する人間です。先日、過去のお気に入りのラジオ番組を録音したものを大量に入手し、近頃はデスクワークや車中などでずっと聴いている有様です。(iPhoneて素晴らしい!)

ワタクシが何故テレビよりもラジオを偏愛するのか、ハッキリした理由は自分でもよく分からないのですが、思い当るところがないわけではありません。その録音を手に入れた過去のラジオ番組というのは、ワタクシが学生時代から聴き続けていたある意味ワタクシにとっての「青春の」ラジオプログラムなのですが、それをいま聴き返していると所々で当時の自分の置かれていた状況や考えていたことなどが鮮明に蘇ることがあるのです。

「ああ、このころの自分はこんなことを考えていたなぁ」とか「ああ、この当時はクラブ活動に一生懸命だったなぁ」とか、ときには自分が机に向かって宿題しながら聴いていた情景までもが思い浮かぶことさえあります。

同じように過去のテレビ番組を観たとしても、当時の思いや情景がここまで鮮明に蘇ることはまずありません。映画や本も同様です。ワタクシは映画鑑賞も読書も大好きで、気に入った作品を繰り返して観たり読んだりすることもあるのですが、そのときに得る感動は純粋に作品に対するものでありさえすれど、そのバックグラウンドにまで及ぶものではありません。

専門家でも学者でもないワタクシには難しいことは不明ですが、おそらくテレビや映画や本は、文字や画(え)として体験した時点で心へ刻まれるインパクトが薄まっているのではないでしょうか。その点、「音」だけのラジオは想像力をかきたてるのかもしれません。さらに顕著なのは音楽です。昔よく聴いた懐メロを思いがけず耳にしたときの、あの何とも言えないノスタルジックな感覚はテレビや映画はおろかラジオの比ではありません。そういう意味で、ワタクシにとって本当に良い映画や本や音楽というのは、作品それ自体の完成度に留まらず、その奥に潜む何かをいつまでたっても思い起こさせてくれるものだと言えます。

我々はどうしても目に見える情報から物事を判断しがちです。視覚から得る情報量は圧倒的に多いわけですから、当然のことだと思います。人を判断する時もいわゆる見た目の印象が大きく影響するものですし、物を買う時にも色や形や新鮮さは選択の大きな要素です。だからこそ人は身なりを整えたり、コマーシャリズムはいかに目に触れる機会を増やすかを必死に考えるわけです。それはごく自然なことだし、決して悪いことだとは思いません。

しかし、そればっかりじゃつまんないな、という気がするのです。本当に心に残るものとは何なのか?その場の消耗品みたいなものばかりではなく、いつまでも愛されるものとは何なのか?たまにはそんなことを考えるのも悪くはないような気がするのです。それは華やかに目を引く姿かたちではなく、「音」であったり「ニオイ」であったりと、意外と地味なところにあるのかもしれません。

少なくともワタクシは目に見えるものを信じずハートで世の中を渡っていきます。

@管理人

2012年10月 2日 (火)

π

新聞の広告欄などを見ているといわゆるハウツー本といわれるものが毎日のように紹介されています。セールスランキングでもその類のハウツーものや自己啓発関連の書籍が必ず何冊かランクインしているのが常です。

個人的には全く縁のない分野なのですが、ここまで氾濫して(そこそこ売れて)いるのにはそれなりの理由があるのだと思います。自分を磨きあげたり、そのための効果的な手法を学んだりすることを求め望んでいる人(もしくは何か)が多く存在するということでしょうか。

本日の新聞を取り上げてみても、紙面に踊るのは「実行力無い新内閣」「社会保障めどたたず」「オスプレイ強行配備」「景気踊り場」などなど、暗くて不安な話題ばかりです。そんなうつむき加減の風潮の中で、個人個人が自身を磨き上げ、創造力や競争心を身に付けることでこの状況を打破していこうとする考え方が生まれるのは確かに自然な成り行きなのかなとも思います。そのためのツールとして存在する自己啓発やハウツー学習。

誰もが活き活きとして輝いた目で躍動している社会。うーん、それはそれで間違いなく素晴らしいあり方なのでしょう。文句の付けようがありません。しかし少々ひねくれたワタクシなどは、オイオイちょっと待てくれよと思ってしまうのです。文句の付けようのない話というのは大抵が胡散臭いものだとワタクシの直感が知らせるのです。

ワタクシが不自然さや違和感を最も感じるのは、そこかしこに蔓延する「リミッターカット」的なスタンスです。自己啓発ひとつにしても、四六時中あるいは永遠に自身を鍛え続けることなんて不可能だし(たとえそれが時には休みなさいという教えだったとしても)、ハウツーにしても習得できる手法にだって限りがあるだろうと思ってしまうのです。ある程度までは自己啓発やハウツーでやれるんだと思います。しかしどこかに必ず存在する壁にいざ対したときに、乗り越えようとする意思が大切なのと同様に、現実問題の限界点を見極める能力も重要だと思うのです。

なにも高い壁を見上げて立ち往生していればいいと言っている訳ではありません。ただ、可能性のないところで吹き溜まりのようにクルクル回り続けているよりも、その流れから少しだけ離れて体勢を立て直す方が懸命なこともあるのではないかと思うだけです。

冷静にシンプルに考えれば、自己啓発もハウツーも人間のやることです。人の技である以上、お腹が減ったらイライラもするし、寝不足なら効率も落ちるわけです。髪型が決まらないだけでテンションが下がったり、雨だと外へ出たくなくなったりするわけです。意思や考え方の話をしていると、こういう俗っぽい要因は些末な問題に見えたりしますが、身体や天気といった要素を軽視してはいけません。結局、最後にものをいうのはこんな単純なことなのですから。ワタクシなどは、つくづく人間て単純なものなんだなといつも思い知らされています。

自己啓発やハウツーセミナーで、聞こえや体裁の良い言葉をむさぼって限界を超えることばかりにあくせくしているよりも、今日は好天で気分がいいから仕事がはかどったのかなと感じることの方が有意義(幸せ)なようにワタクシは思うのです。

翻って考えると、モノを売るという我々の仕事にも似たような構図を見ることができます。異業種参入というのでしょうか、かつては扱わなかった品物を扱い始める企業が後を絶ちません。ビックロなどは記憶に新しいですが、我々のコンビニにおいてもおにぎりやジュースだけを売っている時代はとっくに終わってしまいました。揚げ物やおでんなど多岐にわたるファーストフード、お寿司や野菜に淹れたてコーヒー、食品以外でも書籍やCDはもちろん、チケットや保険まで手軽に手に入ります。

間違いなく便利になっています。同時にこれらの新機軸が企業としてライバルと競争していくときの武器になり、プラスαの利益に繋がっているのも確かです。しかしここでも「リミッターカット」の話を忘れてはならないとワタクシは思うのです。

πは限られているのですから。

世の中の人たちが明日からいきなり3食の食事を4食に変えるわけでもなく、読書量が倍になるわけではないのですから。衛星放送のチャンネルがいくら増えようが、観られる番組には物理的限界が必ずあります。要は単なるπの喰い合いの話です。その勝負に負けない企業努力が必要なのは当然のこととしても、πが拡大しつづけるわけではないと認識しておくことはより重要だと思います。とくに新機軸に関しては、攻めと守りとタイミングと継続性の問題が大切で、それを見誤ると必ずそのしわ寄せがどこかに現れます。ときにそれは過剰な在庫であったり、動機付けの困難な「作業」だったりと、往々にして組織の末端に出現します。

先ほどの話ではないですが、現場に近ければ近いほどそれはより現実的な問題となります。現実的な問題ということはつまり、より人間的な問題ということではないでしょうか。天気がいいから気分がいいというように、個人レベルにおいて「作業」が「仕事」になるキッカケは意外に単純なところにあるのかもしれません。上が上ばかりを見て言葉や考え方ばかりをこねくり回すよりも大切な何かがこのあたりに見えるような気がワタクシはします。それは上司が部下に掛けるちょっとした言葉とか、従業員どうしの話す昨日のテレビの話題とか、その程度のものなのかもしれません。

誤解のないようにですが、ワタクシは成長や上昇を否定しているのではありません。競争を投げ出しているつもりもありません。ただ、巷で垣間みるいろいろな方法論に触れるにつけ、「人間てそんなに上等な(ややこしい)もんかなぁ、もっと単純なもんちゃうん」と感じてしまうだけなのです。見回すと、そう感じるヒントがたくさん転がっています。

@管理人

2012年3月26日 (月)

接客2(前回の記事のオマケ)

接客といえば以前、こんな体験をしました。雑記です。

ラーメンを食べに行ったんです。カウンター席中心のラーメン屋さんです。
すみっこが好きなワタクシは、すみっこで静かにラーメンを食べていたんです。
しばらくして、隣に座っているオジサマのところにラーメンが来たんです。
するとオジサマ、吠えてるんです。ものすごく吠えてるんです。

「チャーシューメンけ?え、これチャーシューメンけ?」


て。チャーシュー、少なかったんでしょうね。執拗に繰り返してはりました。

ところが、店長らしきオヤっさんの対応がとても素早く、素晴らしかったんです。
カウンター越しにササッと手を伸ばして、新たなチャーシューのかたまりを偽チャーシューメン(オジサマ主観)に豪快に追加したではありませんか。これで文句ないやろ!って感じで。

オジサマ、全く文句ないみたいでした。たいへん満足したようで黙って美味しそうに食べてはりました。

この店長、なかなかやりますよね。勇気あると思いませんか?ワタクシがこの店長の立場なら、そんな素早い対応、ようできません。

だって店のお客さん全員が、「これ、チャーシューメンけ?」「これ、チャーシューメンけ?」って言い出したらどうしよう。とか考えてしまうから・・・

そして、何よりもまずその最後の「~け?」をせめて「~か?」に修正していただいて、話はそれからだ。とか考えてしまうから・・・

そうこうしている内にきっと対応が遅れてしまうんでしょうね。ラーメンも伸びちゃうんでしょうね。そしてオジサマ、さらに怒・・・

その点、この店長の対応は満点なんでしょうね。

そんなやりとりを目の当たりにして、少々の滑稽さは感じたものの「接客」の奥深さを思い知ったワタクシでした(笑)

@管理人

2012年2月24日 (金)

通らない・・・

ワタクシのことを書いてみたいと思います。たまにはこういうのも良いでしょう。

ワタクシ、苦手なんです。何がかと申しますと、「熱い」のが。情熱とか魂とか志とか不屈とか、そういう類のやつです。いや、立場上、勘違いされると困るので正確に申しますと、そのこと自体が苦手なのではなく、それらを前面に押し出す姿勢が苦手なのです。もっと厳密に言いますと、ワタクシ自身が本当は情熱や熱い思いが何より大切だと思っているからこそ、チープにそれらを口にすることに違和感を感じるのです。強い思いや信念というものは心にじっと仕舞いこんでこそ格好いい、そう信じています。(昭和の高倉健か!)

そこでですが、そんな性格のワタクシを象徴しているのでしょうか、実はワタクシの声って本当に通らないんです。ボリュームの問題もあるのでしょうが、主な原因はその性格に裏付けされたかのような声質の問題でしょう。何をどうやっても通らない。食べ物屋などへ行くと大変です。店員さんへのオーダーがなかなか成立しないんです。「すいませーん、すいませーん」て何回も叫んでるとアホみたいですし、周りの目もあるので恥ずかしいですしね。複数で食事するときなどは(幸いコンビニの現場で働いている社員たちには声の通るのが多い)、必ず誰かに代わりにしゃべっていただきます。

そんなワタクシですが、いつもいつも他人に頼っているわけにはいきません。独りで立ち向かわなければならないときもあるのです。

プリンターが壊れました。

メーカーへ問い合わせたんです。経験されたことありませんか?電気製品メーカーのサポートセンターやチケット販売会社の電話受付で、プッシュホンのボタン入力(ピポパ)の代わりに、声で入力するやつあるでしょ。

今回もそのパターンでした。無機質なコンピュータの合成音が導いてくれるわけですよ。ここでは仮にその声の主をカノンさんと呼ぶことにしましょうか。

無機質なカノンさん・・・
冷静なカノンさん・・・
プリンタに詳しいカノンさん・・・

さんざんプッシュボタンで選別させといて、最後に例の音声入力しろっちゅうやないですか、。「機種名と機種番号をおっしゃってください」ですって・・・・・・

カノンさん、殺生やわ。合成音に向かってしゃべるのって、結構マヌケですよねぇ。

あまりのことに躊躇してると、「機種名と機種番号をおっしゃってください」て繰り返しよるんですよ。にっくきカノンさん。

仕方ない。ワタクシ、腹を決めましたよ。そこまで「機種名をおっしゃい」と言うのなら、言ってやろうではありませんか。

「ピ、ピクサス・・・」
言いましたがな、決死の覚悟で。

そしたらね、冷静沈着なカノンさんが・・・

「聞き取れませんでした。もう一度ハッキリとおっしゃってください」て・・・



なめとんのか・・・

@管理人

2012年1月15日 (日)

24分の1

1月も半分が過ぎました。一年を24時間(一日)で例えるなら、早くも1時間が経過したことになります。

あまりの速さにいささか呆然としております。

そんなワタクシなどにはお構いなしに、時間というやつは勝手にどんどん進んでいきます。

恐ろしいものです。

@管理人

2011年11月18日 (金)

寒っ

一気に冷え込んできました。本社事務所では足元に電気ストーブを置いて仕事をしております。ついこのあいだまで、「暑ぅっ」などと言っていたような気がしてならないのですが、もう11月も半ばですもんねぇ。寒くて当然といいましょうか、時が経つのが速いといいましょうか。

秀静もいよいよ年末商戦(年間繁忙期)を迎え、慌ただしくなってきております。毎年毎年、準備が大切だとは分かっていても、どうしてもギリギリになってしまうのが「仕事」というものなのでしょうか。まるで夏休みの宿題のようですが、社員一丸となってこの忙しい時期を乗り切って、めでたいお正月を迎えられたらと思っております。

@管理人

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