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2012年5月28日 (月)

あいまいみい

「ファジー」。こんな言葉が流行った時代がありました。最近ではシーンに登場することもほとんどなく、ワタクシみたいな古くさい人間がまかり間違って口ずさんでしまった日には相当冷やかな反応に晒されるであろうことは想像に難くありません。(あるいは若い方にはその意味するところすら分からないかもしれませんが)

当時はいわゆる「あいまいさ」みたいなニュアンスでもてはやされ、柔軟性があり状況判断にすぐれているというような肯定的な意味合いで重宝された言葉(価値観)だったと記憶しております。

ところがいつのころからでしょうか、「自己主張」とか「個性」とか、そういったある意味強靭で揺るぎないスタンスこそが大切だという考え方が社会で支配的になるにつれ、「ファジー」に代表されるようなあいまいさや柔軟性という価値観は優柔不断とか八方美人などという否定的な意味で捉えられるように変化してしまいました。

「正義」や「正論」という単語に置き換えてもよいであろうその強靭なスタンスというのはいつのまにか圧倒的に我々を包み込んでしまい、ミニマムでは友人関係から始まり学校<会社<政治、果ては外交の舞台などにおいてまでも、それはかなり「受け」のよいイデオロギーになってきました。構造改革を声高に連呼したかつての首相や近頃では公務員改革を断行する某知事が人気を集めるのは、とても象徴的なことではないでしょうか。

もちろんこの場においてそれが悪いと言うつもりではありませんし、思っていることをハッキリ主張することによる有益性や合理性を否定するつもりもありません。しかし一方で、その「ファジー」なスタンスというのも、実はそれほど悪いものではないんじゃないかとワタクシは言いたいのです。

他の会社同様、秀静でも定期的に「会議」が開催されます。社内だけではなく、本部の方々あるいは他のオーナー様の会社組織との会議が催されることもあります。実はこの「会議」というのが相当なクセモノで、すべての会議を毎回有意義に行えているかというと正直ワタクシにはそう断言できる自信がありません。

有意義ではない会議とはいったいどんな会議か。ワタクシが思うにその筆頭はまず「結論の出ない会議」ではないでしょうか。「長い(だけの)会議」と言い換えても構いません。そのような会議をこれまで何度経験してきたことか。

どうしてこうなってしまうのでしょうか。ワタクシ自身を含め参加者の準備不足という初歩的な問題が一因であることは言うまでもありませんが(反省)、もっと根本的な原因があるような気がするのです。

そもそも意見や考えや経験を異にする複数の人間が集まっている以上、一つの結論を導くことはそう簡単ではないはずです。ましてや「主張」とか「主義」とか、そういった「主」が前面に押し出される(ことが推奨される)場合には、コンセンサスを得ることなんてほぼ不可能だろうとワタクシは思ってしまいます。

以前、「会議では自分がどう考えるかを第一義にするのではなく、クライアントがどう思うかをまず考えよ」という話を聞いたことがありますが、非常にスマートなスタンスだとワタクシは思います。皆が皆、自分の考えや自分の信じる正義や正論を大声で「主張」しだしては、そらまとまるものもまとまらんでということです。シンプルな話です。

そういう意味で「ファジー」というのは実によくできた「態度」だと思うのです。一見、いわゆる「日本的で」「裏表のある」「腹黒い」処世術のような印象を受けますが、やはりこれはこれで「うまくやるコツ」なんだと思います。勝ち負けを競うことが会議の目的ではなく、それぞれの意見を集約し錬金した上で統一した見解を示すことがその目的である以上(少なくともワタクシはそう考えています)、主張一辺倒のその意識を一度振り払うことが会議を有意義にする秘訣だと思うのです。

「おとしどころ」とはよく言ったもので、最終的に成果を手に入れる人というのは、どんな場面でもこの「おとしどころ」がよく見えている人だとワタクシは思うのです。

実際のワタクシはといえば、その「落とし穴」にいつも落ちてしまうのですが・・・

@管理人

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